出島に出入りする人を監視した乙名詰所

前回までの話はこちらから)第3期復元事業は、2016年に完了しました。復元したのは、乙名詰所、銅蔵、組頭部屋、十四番蔵、筆者蘭人部屋、十六番蔵の6棟で、出島の中央に位置します。メインゲート(表門)を渡ると、正面に現れるのは、この乙名詰所です。

ここは表門から出入りする人を監視するために出島の管理者である乙名が詰めていた建物です。貿易が行われていない冬から春にかけて、通行する人々の監視を行っていました。

乙名詰所
内部

乙名部屋の左隣は十四番蔵です。蔵には輸入品の砂糖が保管されていました。出島では砂糖を保管する蔵が多く、主要な輸入品だったと思われます。

十四番蔵

乙名詰所の右隣は組頭部屋です。組頭は乙名を補佐する役人です。1階では日本とオランダの立会いのもと、銅を計量したり、梱包したりしていました。2階は輸入品の鮫皮を保管していました。組頭部屋の奥の建物は銅蔵。その名の通り銅を収めていました。

組頭部屋と銅蔵
銅蔵内部

十四番蔵の左隣はオランダ人の書記の住居の筆者蘭人部屋。4区画に分かれて、数人の書記が住んでいました。

2階の手摺りの塗料は当時オランダでよく使用された緑色です

筆者蘭人部屋の左隣は、十六番蔵です。輸入品の丁子が保管されていました。土蔵ですが復元に際しては建物を鉄筋コンクリート造りとし、温室度調整が可能な展示室、収蔵庫となっています。

十六番蔵

第1期~3期までに復元された建物を紹介してきましたが、おおむね1820年代の出島の様子が再現されていると思います。出島の復元は中短期計画としては現在、第4期事業が計画されています。また、長期事業は、四方に水面を確保して、かつての扇形の出島が再び海に浮かぶという壮大なもの。長崎市では2050年までの長期計画として取り組むとしています。

出島は海外に開かれた唯一の窓口であり、外国もここを拠点に日本への進出を策す、外交の最前線でもありました。当然、もめ事も多く発生します。これについては、また別の機会に紹介したいと思います。