浅野内匠頭と四十七士が眠る墓所
ついに主君が眠る場所、四十七士が吉良の首を届けた泉岳寺へとやってきました。
まず泉岳寺の駅を出ると斜め前に、あの名づけで揉めた高輪ゲートウェイ駅がみえています。
石碑がありました。風化していてかなり分かりづらいですが、四十七義士と彫られています。
そして、ここは東海道沿いなのですね、昔は海がみえる景勝地だったそうです。
さて中門をくぐって泉岳寺の境内へ。本当はもう一つ門があったようですが、現在は二つになっています。
中門の説明書き。
境内はかなり広く、そして色々な所に石仏が配置されています。
泉岳寺山門
立派な山門です。しかし逆光・・・
角度をかえてもう一枚、それにしても立派で威圧感のある山門です。
そして山門脇には赤穂義士のリーダー、大石内蔵助良雄の銅像。
やはり忠臣蔵といえばこの人が陣太鼓をもって先頭を進む場面ですよね。
山門裏には立派な松が植えられていて風格があります。
建物も本堂以外にも色々とあります、大きなお寺ですね。
こちらは泉岳寺の縁起。家康公が今川義元の供養の為に創建したのですね、知らなかった。
そして本堂の説明書き。本堂は戦争で焼けて立て直されたものだそうです。
一応、我が家も代々曹洞宗の門徒なので本堂で手を合わせます。
定住する寺を持たなかったことから、「宿なし興道」と呼ばれた澤木興道の銅像。曹洞宗を代表する名僧の一人です。
本堂横に立派な鐘楼がありました。
以前使われていたものは、なぜか今はウィーンにあるそうです。
檀家以外は立ち入り禁止の墓所。
史跡 赤穂義士墓所
そして、ついに忠臣蔵の最後の場所、浅野内匠頭が眠る墓所です。義士達も切腹後は全員ここへ葬られています。
水琴窟です、お水を垂らすと心地良い音が出ますよ。義士への鎮魂の為に置かれています。
忠臣蔵は海外でも人気があるので、世界中からファンが訪れるようですね。
血染めの梅・血染めの石
これは、討ち入りが実話だった事が分かる、生々しいものが残っています。
この石と奥の梅の木は、切腹の際に飛び散った血がかかったものだそうです。こちらに移送されたのですね。
瑤泉院(浅野内匠頭の妻)から送られた梅もあります。
ここにも首洗い井戸がありました。吉良邸にもありましたね。墓前に供える為にもう一度こちらで洗って血を落としたようです。
義士墓入口の門
義士墓入口の門の説明です。浅野家の上屋敷から移築されたものだそうです。
確かに立派な門ですね。入場料の代わりに線香代をお納めして中に入ります。
お墓なので、パシャパシャ写真を撮るのは自粛して、全景だけで失礼します。
奥の方が浅野内匠頭のお墓です。手前には赤穂義士達のお墓がズラリと並んでいます。
見事、主君の仇討ちを成功させて墓前に首をお供えする場面です。その後、首は泉岳寺の僧によって吉良家は届けられ、遺体と縫い合わせて埋葬されました。泉岳寺には首の領収書が残っているそうです。
赤穂義士記念館
帰りの時間が迫っていたのでスルーしましたが、山門横には赤穂義士記念館があり遺品なども展示してあるようです。
今回は江戸時代の大事件を追ってみました。今日に至るまで、幕府の対応や義士の行動に未だに賛否が分かれる話ですが、現場を追ってみるとまた違った見え方をしてきます。