難所・冷水峠越えの準備をする宿場

原田宿へやってきました。読み間違える人が多いですが、「はらだ」ではなく「はるだ」です。

筑前六宿のひとつに数えられる原田宿は筑後・肥前と接した、つまり国境の宿場町です。

こちら、筑紫神社の鳥居の前あたりに東構口(東側の出入口)が設けられていました。そしてこの東溝口の外側にあったのが、険しい峠を越えるために旅人が腹ごしらえに食べた、原田宿名物の「はらふと餅」屋です。

お腹いっぱいになるといわれた塩餡入りの餅で、お店は途絶えていました。しかし、近年地元の和菓子屋さんが、文献や郷土研究家のお話しを元に研究し復活させました。

そして宿場にはつきもの、旅の安全を祈願する神社です。溝口付近にある事が多いですね。

太宰府への追分石がありました。当時の旅人はこれを目印に旅をしていたのですね。

当時の宿場の建物はほとんど残っておらず、今は閑静な住宅街といった雰囲気です。

原田宿の記録には幕末の志士・吉田松陰、そして日本地図の作成で知られる伊能忠敬、さらにシーボルトをはじめとするオランダ使節団など、多くの著名人が利用した記録が残っています。

宿場の移り変わりをみてきた伯東寺

延宝4年(1676)にこの地に移転した伯東寺です。

江戸時代から宿場に残っている貴重な建造物ですね。そして中には「はらふと餅」をついたと言われる石臼が保管されています。

初代代官・小河内蔵允の説明です。この人は黒田二十四騎・小河信章の甥にあたる人ですね。島原・天草一揆の頃には、すでに原田宿は存在していたようです。

宿場が成立してからそれほど経っていない頃ですが、筑前國続風土記には次のように紹介されています。

筑前國続風土記 巻之9 御笠郡下
原田村
筑前國田代に通る宿驛也。 此宿の西九町に、肥前筑紫筑前三國の境、大路の東小山の上にあり。 三國境と云。 此村は筑紫村の内也。 後わかれて二村となる。

 
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