通称・赤壁寺
天気が良かったので、ちょっと合元寺に行ってきました。
合元寺は、1587年に黒田官兵衛が中津に入った際に、姫路から移り住んだ空誉上人が開山しました。
この合元寺には壮絶な歴史的事件の舞台となったことで有名です。豊前の領主・宇都宮鎮房(城井鎮房)は豊臣秀吉の四国の国替えに応じず、黒田官兵衛と戦になりますが敗退。娘・鶴姫を人質とする事を条件に、鎮房は降服します。
しかし、黒田側は、これまで面従腹背を繰り返す宇都宮側を懐柔することは困難と判断。禍根を断つため、滅ぼすことを決断します。鎮房と、そのわずかの家来だけを中津城に呼び出し、黒田長政らが酒宴の席で謀殺。合元寺にとどめ置かれた多くの宇都宮の家臣らも斬り合いの末、殺害されました。合元寺での戦いは激しさを極め、現在でも梁に刀傷が残っています。鶴姫は侍女とともに磔にされたと伝わっています。
これだけの殺戮が行われたこともあって、地元では「合元寺の壁は何度白く塗り替えても、宇都宮家臣の血痕が浮かび上がるため、最後は赤色にした」と伝承されました。