小倉藩との境界にある福岡藩の玄関宿

天気が良かったので、ちょっと黒崎宿に行ってきました。
福岡藩と小倉藩の境界は北九州市八幡西区にありました。反対側になる黒田藩と唐津藩の境界は現在の糸島市と唐津市の市境ですから、改めて黒田領の広大さが分かります。さすが52万石。

東構口跡

黒崎宿の御茶屋(本陣)は領内でも広大で、敷地面積は約410坪、建物の坪数は192・5坪と記録されています。黒崎宿の通り1100mには御茶屋、町茶屋(脇本陣)、旅籠、人馬継場、代官所などが置かれ栄えていました。

線路向こうが、御茶屋跡

黒崎宿の旅籠のひとつに櫻屋がありました。1808年頃の創業とされ、薩摩藩の定宿となったことから、薩摩屋と称していましたが、後に櫻屋と称しました。幕末期には薩摩藩のほか長州藩、土佐藩などの志士が投宿したそうです。

1945年頃の櫻屋
藤田銀天街のアーケード
道路の守り神や商売の神様「興玉神」
西構口跡

現在は石碑だけが残っている西構口ですが、江戸時代はここから一歩外に出ると人家はなく、田園風景が続いていました。また、街道から少し外れた場所に「曲里の松並木」があります。600本ほどある松の並木で、往時を偲ばせます。ただし、江戸時代の松の木は現在では2本しか残っていません。訪れた際には探してみるのもいいかもしれませんね。

曲里の松並木