日出藩木下家の菩提寺

天気が良かったので、ちょっと松屋寺に行ってきました。
前身は西明寺といい、日出藩初代藩主・木下延俊が1607年に祖母の朝日の方と妻の加賀の法名から「康徳山松屋寺」と改称しました。

松屋寺

境内には1630年に初代藩主の延俊が開設した木下家墓所があり、大名墓と呼ばれています。以後、歴代藩主や親族、家臣の墓52基が林立しています。なお、13代・俊敦と16代・俊愿は神葬のため、東京の青山霊園に葬られています。

初代藩主・延俊の墓
延俊に殉死した四臣の墓
14代藩主・延方の墓
明治以降の木下家の墓
墓の数、大きさとも県内随一

豊臣秀吉は平民の出であった豊臣秀吉は、有力家臣などに豊臣姓を与えて一族と見なし、自らを豊臣氏の氏長者となることで統治しようとしました。しかし、徳川氏の天下になると、豊臣姓を捨てる大名が続出。これに対し日出藩の木下家は江戸時代を通じて豊臣を姓とし続けました。

もちろん、これには幕府の許可があったわけですが、徳川家康と親しかった秀吉の正室・高台院の近親であったことが要因だと思われます。また、初代藩主・延俊の父・家定は家康から2万5000石を与えられ、岡山県に足守藩を立藩。幕府から豊臣姓を許可された藩は、この両藩だけでした。