水戸黄門も絶賛した日本初の体系的な農業技術書
西区をツーリングしていたら、西区の案内板を備えた史跡がありました。
こちらは日本初の農業技術書と言われる「農業全書」を出版した、江戸時代の農学者・宮崎安貞の書斎です。
こじんまりとした小さな書斎です。でも福岡県の指定史跡に認定されています。
案内板をみると家の裏にある、ため池の反対岸にお墓もあるようです。
こちらは農業全書の功績を称える石碑。
そして、元福岡市長で玄洋社の進藤先生の歌碑もありました。進藤先生は史跡などの保護に非常に注力されていますね。
立派な石碑もありました。しかし漢文なので解読できませんでした。
宮崎安貞墓
地図の通りに池沿いにぐるりと対岸まで歩くと、お墓があります。
明治末期に農業における功績が認められて、贈正五位に叙せられています。
元々は広島の生まれですが、25歳で福岡藩に仕官しています。詳細は不明ですが、早々に隠居して、九州・山陽・近畿の諸国を巡遊しながら農学を学んだようです。
その後、女原に移り住み、土着して、農民として郷土の農業改善に尽くしました。そして、中国の農業書「農政全書」を参考にしながら、自己積年の体験を収集し、「農業全書」を著わします。
大学者・貝原益軒とも交流があり、農業全書出版の際には協力を仰いでいます。その結果、農業全書はたちまち評判を呼び、あの水戸光圀公も絶賛しています。
安貞は生涯を通して精力的に開墾事業を行い、福岡西部地域の農業発展に尽くしました。女原には「宮崎開き」の地名も残っています。