穴生理右衛門による野面積の名作
日出城の見どころのひとつが、石垣です。設計は木下延俊の義兄である細川忠興が行い、その家臣で名工の穴生理右衛門が指揮を執りました。野面積の名作とされています。
石が沿いに城の南側を進むと別府の海岸線に到達します。海岸線を西側に向かって進むと西南端に人柱祠があります。
1960年に海岸遊歩道の工事中に、木棺が発掘されました。棺の中からは老武士の人骨と陶製の翁像などが肺っていたそうです。木棺は岩盤をくり抜いた穴におさめられ、石垣の基盤となっていたことや各種調査の結果、築城当時の人柱だったと考えれています。日出城の工事は西南部の地盤が弱く難工事だったそうで、このため人柱を立てたのではと思われます。棺が出土した場所には、人柱祠がまつられています。
城の周囲をぐるっと散策して、再び大手門に戻ってきました。日出城で一番目をひくのは、巨大な空堀ではないでしょうか。よく見ると石段があり、堀の底まで行くことができます。
1874年の廃城令により破却処分となった日出城ですが、本丸跡石垣、鬼門櫓など、見どころは健在。当時の名残が色濃く息づいています。