佐賀藩主のお膝元
天気が良かったので、ちょっと佐賀宿跡に行ってきました。
佐賀宿は佐賀城下にあった宿場町ですが、旅人にできるだけ城が見えないようにするために、長崎街道は武家屋敷の外側の町人町を通っていました。
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他藩もそうですが、佐賀藩は特に城下町での通行制限が厳しく、武家屋敷のある小路などの通行を禁じていました。
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本庄川に架かる高橋を渡ります。この橋の名前は船の航行の支障とならないように、高く架けたことに由来します。
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高橋の市場には船の積み荷で大変にぎわっていたそうです。
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橋を渡ると、佐賀宿の西の入口があります。50mほど離れた場所に国道207号が長崎街道と並行に走っています。
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また、この辺りは鍵型の辻路となっており、敵方の侵入を防ぐために構築されたと考えられています。
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当時、旅人が道中の無事と無病を祈願した八戸の地蔵菩薩があります。1756年に鋳物師の谷口安左衛門兼品という人が鋳造しましたが、1944年に戦時供出しました。その後1954年に八戸地区の有志により石造として再建されました。
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くぼ薬局の看板があります。佐賀城下で一番古いとされる藩御用達の生薬屋です。看板に書かれている漢方薬「牛黄清心圓」は秘伝の強壮薬です。久保薬局は時代の変化に対応しながら、現在も続いています。
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通りに対して斜めに構えた家が連なる「のこぎり型の家並み」があります。上からみるとのこぎりの歯にように見えることから、この名が付いたとされます。隣家とはくぼみがあるわけですが、ここに隠れて敵を攻撃することを想定していたとか。城下は戦時に備えてさまざまな工夫がされていますね。
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街道そばには国内で初めて築かれた西洋式反射炉の跡があります。1850年に佐賀藩10代藩主・鍋島直正が築地に築造させたもので、長崎警護用の大砲を製造しました。長岡藩の河井継之助も長崎遊学の途中に、この反射炉を見て、その大きさに驚いたそうです。もっとも見学を申し込んだ者の断れれ、敷地外から眺めたとか。
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思ったよりも長くなりました。次回は佐賀城付近をご紹介します。