今も残る本陣
天気が良かったので、ちょっと北方宿跡に行ってきました。
北方宿は、小田宿から本街道ルートにあり、この宿から塚崎宿、嬉野宿へと向かいます。
東構口跡から西構口跡に向かって歩いてみました。といっても案内板は本陣跡くらいしかなく、ガイド本を片手に跡地を探しました。
東構口跡のすぐ先に本陣跡があります。1839年4月に完成で、現在は個人宅として使用されている貴重な建物です。当初は茅葺きでしたが、明治30年に瓦葺きに葺き替えられました。ここに本陣が定まるまでは、藩主らは大庄屋や庄屋、泰林寺、酒屋などで宿泊や休憩していました。北方宿は休憩場として使われることが多く、宿が多い塚崎などで宿泊することが多かったそうです。
北方宿は多久鍋島家が治めた佐賀藩多久領の支配下にあり、行政・戦略上重要な拠点でした。また、宿の北東にある大副山では1751年から採炭を開始。良質な石炭が採れ、藩財政を大いに潤しました。
この炭鉱や石炭運搬船を描いた絵馬が街道沿いにある大崎八幡神社に奉納されています。
街道にもどり、大崎八幡神社から50mほど進むと追分石があります。銘は、さか、たけお、いまりらしいですが、さかの「さ」だけが確認できました。
追分石の近くに西構口跡があります。これも地図と照らし合わせた上での推測です。小橋の入口が大体、構口ですよね。ここもそうだと思います。
このほかにも脇本陣跡、問屋場跡、大庄屋跡などを探してまわりました。ガイド本片手に推測しながら、歩いてみるのもいいですね。