神功皇后が鎧を干した伝説が残るゆかりのお社

染井神社は染井の井戸から少し離れた山間にある神社で、元々は熊野権現と呼ばれていました。

社名が変わったのは、神功皇后がこちらの境内の松に、染井の井戸で赤く染まった鎧を干して乾かした事に由来します。

そして、その伝説の松は現在も枯れてはいますが現存しています。

さて、苔むした雰囲気のある参道を進んでやっと鳥居が現れました。ここからしばらく階段です。

結構石段が続きます、静寂な雰囲気が心地よいです。

境内に到着しました。

実は石段を登らずに、そのまま道をまっすぐ進むと境内に繋がっています。ご年配の方でも参拝可能です。

しかし、表参道は雰囲気があるので健康な方は石段での参拝をおすすめします。

使われていない手水鉢がありました、雨水がたまっていますね。

染井神社 社殿

さて、拝殿内に上がってお参りさせていただきます。

中には他の神社同様に、地区の長寿年間や奉納絵が飾られています。

筑前国続風土記拾遺に詳細な記述がありました。

染井山 熊野権現
祭る所熊野三所宮・彦火火出見尊・豊玉姫命五座也。今の宮所ハ古への下宮なり。社の東五町許山上に僅かの平地あり。その上に大岩あり。是上宮の菖地なりといふ。往昔ハ大社にて壮麗なりしとなん。乱世に廃亡し、上宮は名のミ残りて中宮は其跡さへ定かならす。かく衰へぬるハなけかしき事にこそ。本社の後に旗染の松あり。この松、賓暦の此迄ハ枝葉獪栄へ、ことに美しく茂りしか、今は枯木となれり。惜してもなお飾りある事に侍る。

筑前国続風土記拾遺 巻之四十一 怡土郡 上

こちらの神社は本殿が特殊な造りになっているようで、後ろ側が透けてみえます。

拝殿からでて裏に回る途中に、神功皇后が鎧を干した松の古木があります。江戸時代まではまだ枯れずに残っていた事が文献に記録されています。

境内には他にも神様がお祀りされていますが、御由緒などが見当たらず分かりませんでした。

こちらが本殿になります。拝殿の後ろに石製のお社と木製のお社が並んで建てられています。なかなか珍しい造りですね。

今日の記事が年内最後の記事になります。本年も当ブログをご贔屓いただき、誠にありがとうございました。年初は1月5日から再開します。良い年末年始をお過ごしください。

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