黒田藩が生んだ稀代の国学者ゆかりのお寺

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。さて、新年最初のブログは、いつもお世話になっている「筑前国続風土記拾遺」の著者・青柳種信先生のお墓がある、顕乗寺へご挨拶に行ってきました。

顯乗寺は延宝元年(1673)に祖原山付近に建立されたお寺です。そして、ここ祖原の地は青柳種信の父方の実家があった場所です。

青柳種信は国学者・歌人としても知られていますが、さらに和学・漢学・地理・歴史を実証的に解明した学者として、数々の著書を世に送り出しました。

父は黒田藩の足軽の身分で、青柳家の次男坊として地行の長屋で生まれています。その後、兄が養子に入った際に、祖原にある青柳家の家督を継ぎ、九代藩主・黒田斉清公に仕えました。

江戸詰めなどを経験した後、国学を志し、国学の第一人者・本居宣長に入門しています。帰藩後は、編纂中の「筑前国続風土記 附録」の記録助手に任命され、編纂に携わります。

また、日本地図作成の為に伊能忠敬が来藩すると、領内の案内役を務めました。忠敬から学識を絶賛され、全国の学識者達へ一躍名が広がりました。

青柳種信の墓所

さて、それでは青柳先生の墓所を訪ねてみましょう。立派な本堂です。

このお寺の境内には飢饉地蔵なども祀られていました。

享保の大飢饉の際は、祖原山でも八十三名の犠牲者が出て、こちらに埋葬されたそうです。

この瓦はどこかのお屋敷の瓦でしょうか。無造作に置いてありました。

どなたか存じ上げませんが、歌碑があります。

こちらの近代的な建物はなんだろう?

本堂の横の道を進むと墓所へ繋がります。先生の墓は墓所の最奥にあります。

奥に突き当たって左手をみると大きな木が茂っています、こちらが目印です。

この大木の元にあるのが青柳先生のお墓です。

表には「柳園翁之墓」。裏面には命日の「十二月十七日」「青柳勝次郎種信」の文字が彫られています。

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