福沢諭吉が寄宿した大銀杏のお寺
眼鏡橋を見学して、そのまま川沿いに散歩してみました。目的地は光永寺です。
上流に行くにつれ、段々と川幅が狭くなります。
こちらの立派な橋は一覧橋。最初、唐通事の高一覧(深見久兵衛)によって架けられた為、この名前になったそうです。
橋は何度か流されて、その都度架けなおされたようです。それにしても趣のある石造アーチですね。
向陽山 光永寺
さて、そんな一覧橋のすぐ近くにあるのが光永寺。大変立派な山門が目を引きます。
幕府の天領であった長崎は、明治維新後は 一時的に長崎府となり、次いで明治4年 の廃藩置県で長崎県になりました。そして、第1回県議会が開かれたのが、ここ光永寺でした。
さらにこちらのお寺は、福澤諭吉が初めて長崎留学した際に寄宿したお寺でもあります。
日本教育の父と言われる諭吉は、このお寺で寝泊まりしながら西洋の知識を吸収しました。その後、数々の著作や慶応義塾大学を通じて様々な人材を育てます。
境内はさほど広くはありませんが、しかし中央に大きな銀杏の木があります。おそらく秋には黄金色の葉が茂るのでしょう。
こちらが本堂です。しかし本堂以外の建物はほとんど近代的な建物に建て替えられていました。
こちらの鐘は、諭吉が寄宿していた頃と変わってなさそうですね。この鐘の音を聞いて過ごしたのでしょう。
境内の一角には石仏なども少しあります。
境内全景。諭吉が寝泊まりしていたのはどの辺なのでしょう?
長崎はキリシタンが多く、戦国期は多くの寺社仏閣が焼き討ちにあいました。寺社仏閣が再び建てられたのは禁教令が出てからですが、ここ光永寺は禁教令が出て最初に建てられたお寺です。