寺もないのに大徳寺
丸山の花街を抜けて坂を上って行くと梅香崎神社が鎮座されています。
途中で大徳寺の大クスという看板をみつけました。見上げると凄まじい巨木、樹齢800年だそうです。
こちらはかつて大徳寺というお寺がありました。しかし明治の廃仏毀釈で取り壊され、現在は公園になっています。
さて、梅香崎神社へお参りしましょう。どうやら脇参道から来てしまったようです。
この辺一帯の産土神なので、お決まりのように公民館が併設されています。
それにしても独特な手水舎、唐人屋敷街が隣接している為か少し中国の影響も受けているようです。
梅香崎神社 社殿
さらにまっすぐ進むと社殿があります。
さらに奥には巨木がありました、御神木でしょうか?先ほどの大クスといい、巨木が多いです。
そして、境内奥には境内社として、若杉稲荷大明神が鎮座されています。
また、本殿に隣接する形で大楠神社もありました。
こちらは長崎府知事だった澤宣嘉(さわ のぶよし)が勧請したそうです。有名な七卿落ちの一人ですね。
それでは大徳寺跡の公園に行ってみましょう。こちらにも巨木があります。
台湾出兵時には、大徳寺境内にあった長崎医学校へ多数の傷病兵が収容され、500名以上の犠牲者が出ました。
こちらは、その石碑ですね。
梅香崎神社のそばには、大徳寺焼き(梅が枝餅)を提供する老舗菊水があります。とても雰囲気のある茶店です。
公園の入口にも鳥居がありました、こちらは脇参道ですね。
さて、幕末の頃までこちらは絶景スポットだったそうで、旅人は必ずこちらへ立ち寄って長崎の景色を楽しんだそうです。
そして、なんとこの場所は龍踊り誕生の地でもあるようですね。唐人街が横にあるからかな?
ゴミかと思ったら神社猫が寝ていました。野良猫なのに全然起きない。
かつてこちらには、フルベッキ博士の邸宅があり、大隈重信がこちらに通って英語を学んだ場所でもあります。