今宿が生んだ大正のアナーキスト 伊藤野枝
地元福岡に伊藤野枝という女性活動家がいた事を知ったのは、吉高由里子主演のNHKドラマがきっかけでした。
記念すべき400回目では、今宿が生んだ女性活動家・伊藤野枝について掘り下げたいと思います。
伊藤野枝は1895年1月21日、糸島郡今宿村(現・福岡市西区今宿)に生まれました。明治末期の今宿は宿場町としての役目を終えた、寂れた漁師町でした。
家族の証言ではとにかくきかん気が強い性格で、時には能古島まで泳いで渡る程に活発な子だったそうです。
伊藤野枝 生家跡
そんな野枝ですが父親が働かず、家庭の事情で口減らしの為に叔母の家へ里子に出されてしまいます。
この時の事を生涯恨み、大人になって母親に「私は自分の子供を絶対に捨てたりせん!」と猛抗議しましたが、後に自分も子供を捨てて不倫相手の元へ走りました。
就職と進学
親戚の家を転々としながら、なんとか小学校を卒業しましたが家庭の事情で進学は叶わず、地元の郵便局へ就職しました。しかし、進学への夢をあきらめきれない野枝。東京の叔父へ3日置きに「必ず恩返しするから」と懇願の手紙を送り続けました。
根負けした叔父の代準介は、女学校の試験に合格する事を条件に上京を許可。すると、寝る間も惜しんで倒れるほど猛勉強した野枝は、見事に上野高等女学校へ飛び級合格を果たします。
上野高等女学校へ進学を果たした野枝は、ここで最初の伴侶になる英語教師の辻潤と出会い、次第に独特な雰囲気を持つ10歳上の教師に惹かれていきます。
「野枝さんは十八で女学校の五年生だったが、僕は十ちがいの二十八でその前からそこで英語の先生に雇われていた。野枝さんは学生として模範的じゃなかった。それで女の先生達などからは一般に評判が悪く、生徒間にもあまり人気はなかったようだった。顔も大して美人という方ではなく、色が浅黒く、服装はいつも薄汚なく、女の身だしなみを人並以上に欠いていた彼女はどこからみても恋愛の相手には不向きだった。」
辻潤
ちなみに辻潤は、当時別の女学生を狙っていたそうで、後にその事が野枝にバレて揉めています。
婚姻破棄と駆け落ち
さて、そんな野枝が自由な女学校生活を満喫していると、叔父が地元糸島の名家と縁談をまとめてきました。大正期には高等女学校卒業と同時に結婚するのはよくある話でした。
しかし野枝は、大嫌いな田舎の見ず知らずの男に嫁ぐ事が嫌でたまらなかったようです。本人の意思とは関係なく仮祝言まで進められ、卒業と同時に嫁ぐのですが、何と1週間ほどで脱走。
どこにも行く宛のない野枝が頼ったのは、在学中に恋心を抱いていた英語教師の辻潤でした。ダダイスト※で女好きな辻潤は、全然タイプじゃないけど据え膳食わぬは男の恥と受け入れます。しかし辻潤はまだ実家暮らし、今風に言うと子供部屋おじさんでした。
1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動のダダイスム。既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想が特徴。ダダイスムに属する芸術家・思想家をダダイストとよぶ。
ダダイストとは
里親である叔父に不義理をして、まだまだ旧態依然とした村社会の糸島で、実家の立場を悪くしてまで追い求めた自由恋愛。そして、同棲生活の最中、新しい生き方を模索する野枝に運命の出会いが訪れました(続く)