郷里を転々とする巨石
伊藤野枝の墓へお墓参りに行きました。伊藤野枝の正式なお墓は静岡にあるのですが、実は郷里の今宿にも存在します。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/04/01-1024x768.jpg)
お墓の場所は野枝の生家跡から南に2kmほど下った山の中です。
治七のクリームパン
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/04/02-1024x768.jpg)
それでは歩いていってみましょう。有名な治七のクリームパンから出発します。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/04/03-1024x768.jpg)
治七のクリームパンは食べた事がない人は、是非一度食べてみて下さい。クリームパンの概念が変わる程衝撃を受けます。実はイートインもできますよ。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/04/04-1024x768.jpg)
さて、お店を出たら西へクリームパンをかじりながらため池の横の道を進みます。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/04/05-1024x768.jpg)
しばらく進むと突き当りになるので、これを左へ折れて南へ。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/04/07-1024x768.jpg)
そして、後は田んぼの横ののどかな田舎道を道なりに歩いていくだけです。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/04/08-1024x768.jpg)
大体治七のクリームパンから徒歩で15~20分ほどでしょうか。しかし車などは道が狭いのでおすすめできません。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/04/09-1024x768.jpg)
さて、ひたすら進むと次第に傾斜がついて山道になってきます。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/04/10-1024x768.jpg)
道の左側には新貝(甲)池と呼ばれるため池があります。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/04/11-1024x768.jpg)
しばらく進むと突然山の中へ入っていく道が現れます、これが野枝の墓への入口です。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/04/12-1024x768.jpg)
しかし、しばらく人が入っていないのか、藪が茂っていました。そして蜘蛛の巣も大量にあるので、棒で払いながら進みます。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/04/13-1024x768.jpg)
山中に入りけもの道のような道を、道なりに北へすすみます。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/04/18-1024x768.jpg)
しばらく進むと右側が小高くなった場所がでてきます。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/04/17-1024x768.jpg)
実はこの小高くなった丘の反対側に、隠されるように墓石が置かれています。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/04/14-1-1024x768.jpg)
このように登ると少し石がみえますね、誰かお花をあげているようです。
伊藤野枝の墓
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2023/04/15-1024x768.jpg)
こちらが伊藤野枝の墓といわれている巨石です。実際に骨や遺品などは埋まっていないので、単に墓と呼ばれているだけの石だそうです。
元々は生家の近くに置かれていたそうですが、近所の人が庭石にしようと持ち帰ると、その家に不幸がおこりました。これは祟りだという事で、早良区内野の西光寺に移されます。
![](https://sawarafudoki.com/wp-content/uploads/2021/10/P1250428-1024x768.jpg)
しかし檀家の人達からの反対にあい、結局お墓は知人の持山の中へ移されました。地元では野枝の話を取材しようとしただけで怒鳴られるなど、あまり評判は良くなかったようです。