童謡とおりゃんせの舞台になった天神様

三芳野神社(みよしのじんじゃ)は、川越城内に勧請されている神社です。

実はこの神社、あの童謡「通りゃんせ」の舞台として知られています。

横からみた参道

昼間でも鬱蒼とした長い参道、こちらが歌詞に出てくる「天神様の細道」です。

城内にある事から「お城の天神様」と呼ばれ、そして防衛上の理由から参拝時間が制限されていました。

また、一般の参詣客に紛れて密偵が入り込まないように、帰りの参詣客は警護の者によって厳しく調べられたそうです。

その結果、この取り調べの厳しさが「行きはよいよい、帰りは怖い」と歌詞にあらわれています。

川越城内で流行ったわらべ唄は、すぐに江戸へ広まり、やがて全国に伝播しました。

そのため、境内にはわらべ唄の発祥地である事を示す石碑があります。

川越城七不思議

さて、こちらの神社は川越七不思議の舞台でもあります。

初雁の杉

神社の裏に、大変見事な杉の木がありました。これを「初雁の杉」と呼んでいました。昔、北の空から飛んできた初雁が、必ずこの杉の上で「ガァ~~」と三声鳴きながら、三度、グルッと回り、南の方へ飛び去りました。これは毎年のことで一度も忘れたことがなかったそうです。このことから川越城は「初雁城」と呼ばれるようになりました。

川越城七不思議

天神洗足の井水

昔、太田道灌が川越城を造る為、堀の水を貯める水源を探していました。ある日のこと、道灌がちょうど初雁の杉あたりを通りかかると、老人が井戸水で足を洗っていました。よく見ると井戸には清水がこんこんと湧き出ています。老人に築城の事を話すと、それではと満々に水をたたえた水源地に案内してくれました。道灌は、かの老人こそ三芳野天神様の化身だと感じ、老人の浸かっていた井戸水を「天神洗足の井水」と名付け、後の世まで伝えることにしました。

川越城七不思議

さて、七不思議はこれくらいにして参拝しましょう。

しかし手水舎は水がありませんでした、休止中のようです。

三芳野神社 社殿

こちらがお城の天神様です。京都の北野神社を勧請したらしいと伝わっています。

社殿は藩主・酒井忠勝が将軍・徳川家光公の命を受けて造営しました。

蛭子社

皇太子殿下が記念植樹をされた記念の石碑です。

他にも石碑がありましたが、しかし風化して読めません。

そして、こちらは漢文なので学がなくて読めません。

大黒社

寛永2年には天海大僧正による遷宮式が行われ、その結果、以降は幕府の直営社となりました。

天満宮