高杉晋作ら門下生によって改葬された吉田松陰の墓
最後に吉田松陰の墓へお参りして帰ります。
吉田松陰の墓へは、参道から分岐して西へ伸びている石畳を進むとあります。
途中、石灯籠が立ち並んでいますが、こちらは毛利一族や門下生により奉献されたものです。
伊藤博文など著名人からの奉献も多々あるので、誰のものなのか探すのも楽しいですね。
ちなみに良い場所には、毛利・吉川・小早川などの主家格の灯篭が並んでいます。
途中に祠がありました。槌をもっているので大黒様でしょうか。
さらに、まっすぐ進むと墓所への案内がでてきます。
吉田松陰先生他烈士墓所
墓所への入口は、木戸孝允(桂小五郎)より寄進されたこちらの鳥居が目印です。実は、木戸は松下村塾の生徒ではないのですが、松陰から直接教えをうけた間柄でした。
こちらの墓所には、松陰の他にも頼三樹三郎、小林民部、来原良蔵、福原乙之進、綿貫次郎輔、中谷正亮他、維新の折に亡くなった烈士達が弔われています。
こちらが松陰先生の墓です。お墓参りされる方が多いのか、献花台も多く花も新しいです。
安政の大獄で亡くなった方々ですね。松陰先生の墓は中央で、とりわけ分かりやすく札が建ててあります。
来原良蔵は伊藤博文を見出し、松下村塾へ入塾させた人です。そして博文は彼を終生師匠として仰いでいました。
3度内閣総理大臣を務めた桂太郎により建立されました。実は、桂太郎は第四大隊の司令官でした。
松下村塾の最年長者、中谷正亮(しょうすけ)の墓です。高杉晋作や久坂玄瑞を吉田松陰に引き合わせた人で、さらに桂太郎の叔父にあたります。
野村靖は入江九一の弟で、岩倉使節団の一員として渡欧。その後、明治政府で公使や大臣を歴任して子爵位まで登り詰めています。遺言により、こちらの墓所に葬られたそうです。
徳川家からの奉献品
ところで、墓所をみていると徳川家から奉納されたものをみかけました。
実は禁門の変の後、長州征伐の際に幕府によってこちらの墓所は一度破壊されてしまいました。したがって現在の墓は木戸孝允が中心となって、明治に再建されたものです。
これらの奉納された品は、安政の大獄やお墓を壊したお詫びの気持ちなのでしょうか。