見どころいっぱいの能古
いまさらですが能古島の地理を説明すると、南北3・5㎞、東西2㎞、周囲12㎞、面積3・95㎞2の大きさです。また、かつての文献には「残」「能許」「能護」「能挙」「乃古」とも記されていました。令和5年4月時点での人口は634人。
バイクで軽く周遊した後は観光スポットに行ってみることにしました。お腹が減ったので、能古うどんを食べようと、お店に行ってみると能古うどん製造所に行ってみると明らかに閉まってました。。。Googleマップでみると臨時休業と。。。
では耕ちゃんうどんに行こうと近くまできたけど、見当たらない。。。よく調べたら、のこのしまアイランドパーク園内にあるそうで、、、お花を見てまわる時間はないので、結局食べずじまいでした。。。すごい美味しいそうですよ。
白髭神社
白髭神社に向かいました。能古島の産土神で祭神は住吉大神、神功皇后、志賀明神などなど。「筑前国続風土記」には能古島は『神宮皇后異国より御帰朝の時、此島に住吉の神霊を残し留めて、異国の降伏を祈給ふ。よって残の島といえへり』などとあります。この神霊を留めたのが白髭神社とも云われています。
この能古島は、作家の檀一雄が晩年を過ごした島として有名ですよね。檀の旧宅は取り壊されましたが、跡地には歌碑があります。
能古島は歴史上、外国勢力に蹂躙された地でもあります。弘安の役の時にははやりというか、上陸され島民が被害にあっています。また、蒙古襲来から時代が上がって、1019年の刀伊の入寇でも襲撃を受けています。
蒙古塚
駆け足で紹介している感がありますが、能古島には1764~1787年の短い間に操業された藩窯能古焼の跡があります。染付磁器と陶器を焼いた窯です。
江戸時代には黒田藩の鹿の猟場でしたが、田畑の作物を荒らすために1836年に東西2㎞にわたる石垣を作り、鹿の侵入を防いだ鹿垣跡があります。最盛期に600頭を超える鹿がいましたが、終戦後には全滅したそうです。
、、、、あとは、、、島をグルッと一周するのは自転車かバイクで行くことをオススメします。ただ、あんまり路面の状態が良くないので、回られるときは十分注意されていください。
前編と後編の配分を間違えました。。。能古島の観光名所はまだまだありますので、ご自身で確かめに行くのも良いかもしれませんね。