特徴的な防塁型ライン
そもそも安楽平城とはどういった城だったのでしょうか。
安楽平城は大きく二つの区域で構成されます。ひとつは本丸および三の丸の区域、もうひとつは二の丸の区域です。この両区域は石塁で繋がります。
まずは本丸です。広さにして200坪程度ですが、樹木に覆われて視界は開けていません。
三の丸へ向かう
三の丸からロープを使って下りてみます
この堀切から油山へと尾根が延びています。60分ほどで油山山頂へと到着します。おそらく、油山方面からも龍造寺軍は進軍してきたと思われます。
本丸へ引き返し二の丸へ向かう
安楽平城の特徴は、斜面を削って人工的な急傾斜の断崖である切岸や石垣、土塁などを組み合わせた長大な防塁型ラインにあるとされています。敵を迎え撃つことを強く意識した構造で、守備範囲の分担を明確にし、一体的な防御体制が構築できるとか。歴史専門誌では九州北部を代表する堅城と紹介されています。また、対立関係ではあった、原田氏の高祖山城、筑紫氏の勝尾城など近隣の山城も同じような特徴があるそうです。
登ってみた
いつもなら、この辺りで筆を置くところですが、日程の都合上、安楽平城へ向かうルートもご紹介します。本丸への主なルートとして早良区重留および谷からの道と、油山から向かう道の3ルートがあります。まずは谷からのルートで本丸を目指しました。
林道を進みます
15分ほど進むと登山口に到着。ここから山登りの始まりです。
沢がたくさんあり、降雨時には川となって敵の行く手を阻みそうです。
傾斜がきつく、すぐに息が切れてきました
出丸から登山道に戻り、少し進むと平坦な道が現れました。ここから本丸と二の丸へとそれぞれ続きます。今回は本丸へと向かいます
本丸があった頂上に到着しました。傾斜はキツいですが、本丸へは、谷からのルートが一番最短です。
重留ルート
荒平山の北側からの重留ルートからも登ってみました。こちらからは二の丸を経由して本丸に至ることとなっています。
段々、山道らしくなってきました。この当たりには小田部家臣団の屋敷が建ち並んでいたとされます。よく見てみれば土塁の跡や石積みの跡があるような。。。
この重留ルートの方が登りやすく幅員も広いので攻めやすそうですが、本丸の前に二の丸が立ちはだかります。また、重留には出城として茶臼城があるので、こちらからの攻撃も難儀だったのではないでしょうか。残る油山ルートですが、標高597mの油山から荒平山394mへと下り一辺倒かと思いきや、一端標高300mくらいまで下ってから荒平山山頂へと向かうので、攻め落とすのは容易じゃないと思います。。。
専門誌によると安楽平城は九州北部の山城を知るには最適な事例だそうです。アクセスも比較的容易なので、訪れてみるのもいいかもしれませんね。