一国二城を許された熊本藩の支城
天気が良かったので、ちょっと麦島城跡に行ってきました。
1588年、肥後に入封した小西行長が八代城として築城しました。現在は麦島城と呼ばれています。この麦島城は南蛮貿易の拠点として機能していたそうです。
関ヶ原の戦い時には合戦の舞台となり、加藤清正が攻め込みます。与していた西軍が敗れたため開城し、加藤家の支城となります。豊臣氏滅亡後の1615年8月に徳川幕府が出した一国一城令の時には、熊本城と麦島城の二城体制が特別に許可されました。薩摩の島津氏や人吉の相良氏などへの備えとして重視されたと考えられています。
1619年に大地震により倒壊した際にも再建が許され、現在の八代城が築城されました。麦島城は倒壊後、埋められたことに加え、現代では宅地化が進み、遺構を確認することができません。ただし、天守台があったとされる場所には案内板などがあります。