禁教後も信仰を貫いた潜伏キリシタンの集落
外海の出津集落(そとめのしつしゅうらく)を訪れてみました。キリスト教禁止令が出た後も、聖画や教義を密かに伝承して自分たちで信仰を続けた集落の一つです。
外海の出津集落は長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産に含まれる世界遺産に登録されています。
しかし、駐車場はほとんど案内がありません。さらに離合できない極細の道を登った所になんとか発見できました。
さて、まずは国指定重要文化財の旧出津救助院から周ります。
呼び鈴を鳴らすとシスターが出迎えてくれました。そして写真撮影の許可を貰って中に入ります。
外海の出津集落 旧出津救助院
建物に入るとすぐに案内板がありました。
マルコ・マリー・ド・ロ神父は、明治12年に外海地区の主任司祭として赴任しました。
ド・ロ神父は、陸の孤島と呼ばれた地域で、信仰だけを頼りに貧しい暮らしをしていた人々を見て、私財を投じて授産場、マカロニ工場、鰯網工場などの施設を建設。
その他、織布、織物、 素麺、マカロニ、パン、醤油の醸造などの授産事業により、手に職のなかった女性達の自立を支援します。
さらに「魂の 救済だけでなく、その魂が宿る人間の肉体、生活の救済が必要」という信念を実践します。そして、教会を中心とした村づくりに生涯を捧げました。
さて、旧出津救助院には、ド・ロ神父の功績を示す、実際に使用されていた道具や機材などが数多く展示されています。
これは粉を引く為の石薄でしょうか?保存状態が良く、現役で使えそうなものばかりです。
パン、マカロニ、ソーメン等は、当時の日本では大変珍しく珍重されたそうです。
こちらは竈ですね、沢山の薪が積まれていますが、今でも現役で使えるのかも。
そして、二階に上がると礼拝所があります。
旧出津救助院 祈りの場
こちらが、仕事の合間にも頻繁に祈りを捧げる為の祈りの場です。
さらにオルガンまで完備されていました、いかに信仰と生活が密着していたのかが分かります。
そしてこれは、ホスティアを焼くものかな?カトリックでは神父さんが、コイン大の小麦粉を信者の口に入れる儀式があります。
最後に旧出津救助院の外観です。そして隣にはマカロニ工場が建てられています。