萬行寺に寄ってみました。萬行寺は、浄土真宗本願寺派の歴史ある寺院です。

そして博多総鎮守の櫛田神社とは目と鼻の先、山笠の中継でも山門がよく映り込んでいますね。

国体道路沿いでよく前を通っているのですが、実は中に入るのは今回がはじめてです。

正式名称は普賢山萬行寺。普賢山という名前は、享禄2年(1529年)に普賢堂町(現上呉服町)に草庵が建てられた事に由来します。

南無阿弥陀仏に関して書かれている看板。しかし仏教事情には疎いので、半分くらいしか分からない。

そして入口に親鸞聖人像です、よく同じ像をお見かけしますが配られているのですかね?

また博多旧市街の観光案内版も設置されています。櫛田神社が近いので、一緒にまわる観光客も多そうですね。

萬行寺の寺紋・おもだか紋

さて、入口にあるこちらの立派な寺紋は、毛利家から贈られたものです。話は織田信長と本願寺が争った石山合戦にまでさかのぼります。

織田の軍勢に包囲された本願寺を援護すべく、同盟国の毛利家と協力して、武器や食料などを本山へ輸送しました。この時の縁で、後に毛利家から裏紋であるおもだか紋が与えられました。

名娼 明月

そして、萬行寺には遊郭に売られた薄幸の美女、名娼明月の墓があります。彼女は本名「お秋」と言い、石山合戦が行われた頃の人物です。彼女は両親を亡くし、唯一の頼りだった許婚者も親の仇討ちの末に命を落としてしまいました。その後、博多柳町の妓楼へ遊女として売られてしまいます。

 博多に信仰心の強い明月と言う娼婦がいました。毎日の萬行寺参詣を欠かさず、もし都合で行けないときは、庭石を寺までの歩数踏んで遥かに礼拝したと伝えられています。
 明月は二十二歳の若さで病の為に逝去しますが、四十九日目の朝、明月の墓の上を破って一茎の蓮が生じ、匂うような白い花が咲きました。墓を掘りあらためたところ、明月の亡骸は生きているようで、微かに微笑むその口から茎が伸び、白蓮華の花が咲いていました。
 この花をみた人々は、名月が極楽浄土へ辿り着いた事を悟りました。

名娼 名月の伝説

実はこの口から生えていた伝説の蓮華は、現在も残っていて、毎年5月15日に営まれる明月追悼の日に拝観する事が出来ます。

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