松浦党の波多氏の居城

天気が良かったので、ちょっと岸岳城跡に行ってきました。
岸岳城は唐津市にある岸岳の頂上(標高320m)に築かれました。かつては鬼子岳とも呼ばれ、古来より鬼が住んだという伝説があります。

写真奥の山が岸岳。かなり険しそうです。
案内板があるので分かりやすいです
山里を進む進む

久しぶりの山歩きに気合いを入れて臨みましたが、車でかなり上がれました。登山口そばには駐車場もありますので、便利です。この地点で標高は250mあったんじゃないかな。残り70mほどですね。楽勝かしら。

東西約800m

岸岳城は山上の尾根に沿って東西に築かれているのが特徴です。登山口は西端にあり、三の丸→二の丸→本丸と順に見てまわることができます。

10分ほど上っていくと分岐がありました。

ちょっと寄り道して旗竿石を見にいきました。

進む

行き止まり。岩に穴が空いています。

伝旗竿石。ここに旗を立てたと考えられています。

なるほど、見晴らしがいいので、ここに旗があれば目立ちますね。引き返して本線に戻ります。

とにかく細長いですが、傾斜が緩いので、さくさく進めます。旗竿石から三の丸までは約230mほどです。

橋がありました。

橋の下から。堀切ですね

橋を渡ると三の丸跡に到着しました。いままで歩いてきた尾根が少し膨らんだ感じで、あまり広くありません。ここから約300m先の二の丸跡に向かいます。

岩が多いです

尾根が途切れています。迂回すると。。。

二の堀切でした。大規模なものですね。野良積みではなく打ち込みの石垣です。
松浦一族の松浦持が、この地を与えられ、1069年に岸岳に岸岳城を築城したそうです。その後、子孫は波多氏を名乗り400年にわたり続きましたが、豊臣秀吉により改易されると、後の唐津藩主である寺沢広高が1593年に入り改修したとか。この石垣は寺沢氏時代に改修されたものだそうです。

伝埋門跡。石垣がほぼ崩れてしまっていて形状は不明ですが、石垣に囲まれた埋門と附属の構造物が存在していたと考えれています。

二の丸に到着。三の丸の倍くらいの広さがあります。

二の丸にある井戸跡。岩盤をくり抜いて造られたようです。登山口からここまで約20分ほど。さくさく歩けて全く休憩していません。次回は本丸を目指します。

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