武内宿弥が休憩したゆかりのお社

東区にある翁別神社へやってきました。こちらの神社は武内宿弥を祭っている神社です。

三韓征討の際に神功皇后のお供としてこの地に赴いた武内宿弥は、この地に湧く鏡のように清く澄んだ水に舌鼓を打ち、そして銀杏の陰で休憩したと伝わっています。

その為、御祭神は武内宿弥。5代の天皇と神功皇后に仕えた伝説の人物です。加えて戦前には紙幣にも肖像画が使われていた事で知られています

安倍晴明が復元した鏡の井

平安時代のこと、この地に十六宵という美女がおり、鏡のように湧き出る泉に姿を映して髪を整えていた為、人々はこの池を鏡の井と名付けました。しかし十六宵が天皇の勅使に見出され、官女として上京すると泉は枯れてしまいました。

ある日、唐から帰国した安倍晴明がこの地を訪れて、泉が枯れた事を知ると、白龍の式神を召喚して地中に潜らせました。しばらくすると清水が噴き出して空高くほとばしります。人々は石を集めて囲い、以降は酷い干ばつの年でもこの水は枯れる事がなかったそうです。

鏡の井の伝説

その後、鏡の井は名水として知られ、太閤秀吉が博多を訪れた際に、千利休はこの水を汲んで秀吉に茶を点てた記録が残っています。

鏡の井の由緒が細かく書かれています。実は千年以上経ったいまでも清らかな水を蓄えているそうです。

そして、お隣のこちらは大正天皇の即位記念に作られた石碑。

翁別神社 社殿

さて、奥へ進んでお参りしましょう。門柱まであって立派です。

筑前国続風土記拾遺でも1P使って記載がありました。

松翁白梅嫗社
小祠也。此松翁白梅嫗いかなる人なりや詳ならす。或云白大夫を祀ると。また馬出村の内南方に博多町といふ字田あり。此地壺反九畝弍拾九歩ハ松翁の田地と云傳ふるといへり。

筑前国続風土記拾遺巻之十 金平村

しかし、現代ほど詳しい由来などは、江戸時代にはわかっていなかったようですね。

社紋でしょうか?松を意匠にしたものが彫られています。

そして社殿横には三つの石碑が並んでいますが、こちらも詳細は分かりません。

神社周辺には巨木が立ち並んでいますが、千年までは経っていないと思います。

社殿は市営馬出団地に囲まれています。団地の敷地に神社がある印象ですね。

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