島津藩主の崇敬厚い薩摩一の宮
枚聞神社へやってきました。創建は神代まで遡り、大変歴史のあるお社です。
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薩摩国の一の宮として、古くから交通・航海の安全や、漁業守護の神として人々の厚い信仰を集めてきました。
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こちらは復活の御神木。実は台風で御神木が折れてしまいましたが、すぐに新芽が生えて見事に復活したのだそうです。
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参道から本殿に向かう途中、本殿の屋根の上に開聞岳が位置する構造に造られています。元々は開聞岳を御神体とする、山岳信仰に根ざした神社であった事を示しています。
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木に埋もれて見えにくいですが、御由緒です。御祭神は大日孁貴命(おおひるめのむちのみこと)、アマテラスの名前の方が良く知られていますね。
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まずはこじんまりとした手水舎でお清め。
枚聞神社 社殿
さて、お参りしましょう。本殿は鹿児島県の有形文化財に指定されています。
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朱塗りの社殿は、周囲の木々の緑に映えて美しいですね。
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実は戦国期に島津家の・頴娃氏のお家騒動に巻き込まれて、社殿を焼失しています。
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しかし、すぐに島津家の寄進により復旧。そして現在の社殿は島津義弘公が寄進したものを天明7年(1787年)に島津重豪公が改築した物です。
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ところで島津義弘公といえば、関ケ原の戦いにおいて「島津の退き口」で有名な猛将。無事に帰国できたのも、枚聞神社のご神徳があったのかもしれません。
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奥にある本殿正面には、縋破風で1間の向拝が設けられています。
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最後に、境内に祀まつられている神馬像は、天智天皇の御巡幸伝説のものです。実は、こちらの神社がその舞台として伝わっています。