24時間体制で魚雷を生産した疎開工場
天気が良かったので、ちょっと三菱兵器住吉トンネル工場跡に行ってきました。
当時、長崎市は日本でも有数の魚雷の生産拠点だったそうです。太平洋戦争末期に、米軍の空襲から三菱兵器大橋工場を避難させる形で、近隣の長崎市東北郷の山中に造られたのが、住吉トンネル工場です。その名のとおり、ここには6本のトンネルを掘削し、九一式魚雷の部品を生産しました。
トンネル1本の高さは3m、幅4・5m、長さは300mあったとか。ここで24時間体制で魚雷の部品を製造しました。
この工場は爆心地から2・3㎞ほどしか離れておらず、原爆投下直後はトンネルの外にいた人の多くは死亡し、中にいた人は、かろうじて助かったりした人もいたとそうです。