24時間体制で魚雷を生産した疎開工場

天気が良かったので、ちょっと三菱兵器住吉トンネル工場跡に行ってきました。

閑静な住宅街にトンネルの遺構がありました

当時、長崎市は日本でも有数の魚雷の生産拠点だったそうです。太平洋戦争末期に、米軍の空襲から三菱兵器大橋工場を避難させる形で、近隣の長崎市東北郷の山中に造られたのが、住吉トンネル工場です。その名のとおり、ここには6本のトンネルを掘削し、九一式魚雷の部品を生産しました。

2010年に見学施設として整備したそうです
現在、遺構として見学できるのは1号および2号トンネルです。
2号トンネル

トンネル1本の高さは3m、幅4・5m、長さは300mあったとか。ここで24時間体制で魚雷の部品を製造しました。

1号トンネルに展示されている魚雷。当時生産されていたものと同型です。

この工場は爆心地から2・3㎞ほどしか離れておらず、原爆投下直後はトンネルの外にいた人の多くは死亡し、中にいた人は、かろうじて助かったりした人もいたとそうです。

にほんブログ村 写真ブログ 地域の歴史文化写真へ にほんブログ村 歴史ブログ 地方・郷土史へ にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
記事が参考になりましたら、こちらのボタンをクリックお願いします。