厄除けの八幡様として親しまれる

若八幡宮にやってきました。福岡市民には厄除けの神様として有名で、厄年にこちらのお世話になる方も多いです。

博多駅から徒歩圏内。それゆえにたくさんの外国人観光客で賑わっていました。

新暦と旧暦の大晦日に行われる「年越厄災除大祭」には、多くの参拝者が訪れる事で知られています。

さて、境内へ入ってお参りしましょう。まずいきなりお地蔵様がいらっしゃいました。神仏習合の名残でしょうか。

手水舎はまだ使用できないようです。

途中に厄年の早見表がありました。げげっ、来年厄年だ・・・しかしかぞえ年なので注意が必要です。

では参道を通ってしっかりお参りし、厄を落としましょう。

若八幡宮 社殿

御祭神は、大鷦鷯命(仁徳天皇)、大乙貴命、少彦名命です。

実は福岡市内には同名の神社がいくつかみられますが、こちらのお社と関係があると思われます。

社殿の裏手に周ると鳥居がありました、裏参りができるみたいですね。

福岡市有形民俗文化財 力石

さて境内にあるこちらの石は、江戸時代の力自慢・木村興五郎が持ち上げたと言われる力石です。

重さは180kg以上あります。木村興五郎が残した、現代でも確認できる唯一の記録資料になります。

また、隣には境内社として、白鬚神社のお社があります。

最後に、江戸時代に記された文献を引用して終わります。

若八幡宮
所祭仁徳天皇也。鎮座の始詳ならす。箱崎の攝社なりしといふ。むかしハ藪八幡とも称せしとぞ。毎年十一月初夘日櫛田宮の巫女御倘を供へ奉る。いつの比よりか御社を東向きに造建せるならん。此社地日水庵の境内也。社内に住吉 稲荷 観音 地蔵堂あり。傍に神木の巨松一株あり。

筑前国続風土記拾遺 巻之六 博多下

実は江戸時代から、近隣の筥崎宮や櫛田神社とも何らかの関係性があったようです。

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投稿者

mokudai

3件のコメント

  1. 筑前国続風土記拾遺 巻之六 博多下の箇所を原本で見てみたくて、国立古文書館デジタルアーカイブで巻之六を閲覧してみましたが、三宅村の若宮八幡についての記述は見当たりましたが、この神社の記載はありませんでした。
    もしかしたら、他の文献なのか、他の巻なのかなと思い、筑前国続風土記と筑前国続風土記拾遺の他の部分を見てみましたが、探せませんでした。
    一行寺の方のお話で「徳誉上人の従弟である扁誉上人も武家であったが仏門に帰依し、日水庵に入り、郷里の遠州より氏神である八幡大菩薩を勧進し、武運に力を与え厄を払うとして、博多の町衆の信仰を集める辻の堂の若八幡(現在の厄八幡宮)の縁起です。」という話をブログで見かけたので、貝原益軒さんや青柳種信さんも把握してなかったのかな、実際はどうなんだろうと気になってしまい、コメントを残します。

    サトシ
    1. サトシ様
      コメントありがとうございます。私がみた筑前国続風土記拾遺は、文献出版から出ている筑前国続風土記拾遺の上巻になります。P171に転載した部分の記載があります。もしかしたら、原本に編集で付け加えられているのかもしれません。筑前国続風土記は、両先生が実際に各地を聞き回って記録としてまとめたものですが、事実とは異なる記録も多いように感じます。貴重な情報ありがとうございました。

      mokudai
  2. 丁寧に教えていただき、ありがとうございました。
    昔の記録を読んで、見て回るのは面白いですよね。

    サトシ

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