筑前と豊前の国境地域の宿場町
天気が良かったので、ちょっと猪膝(いのひざ)宿跡に行ってきました。
、、、とうのはウソで前回、ご紹介した大刀洗の井戸を訪れた場所が、宿場町の南構口跡だったからです。井戸を取材するまで知りませんでした。
豊前の国から筑前の国嘉麻郡(嘉麻市)へと通じる通称・嘉麻街道の宿場町で、江戸時代は両国の経済流通の窓口として賑わっていたらしく、全戸134戸のうち82戸が商業に従事していたとか。
明治時代末期が最も栄えていたそうで、問屋場の前には、荷を積んだ馬足あとで地面がほげるとされるほどだったとか。
通りは850mほどで、上町、中町、下町に分かれていたそうです。
お隣と称された旧地主の中村家には、御成門という小倉藩主が休息のために出入りする際にのみ使用された門があります。
また、この地で生まれた江戸時代後期の医者・伊藤浚明が、子弟の教育のために開いた義井塾の跡もあります。