福岡藩の勤王の志士達が散った監獄跡

枡木屋跡と呼ばれる、かつて桝木屋浜と呼ばれていた福岡藩の牢屋だった場所へやってきました。

現在は唐人町北公園として利用されており、広々とした敷地にいくつかの遊具があります。

福岡藩が勤王派を弾圧した乙丑の獄の際には、藩内の勤王派をこの場所へ投獄した後に処刑しています。

十一代藩主 黒田長溥公

乙丑の獄とは、藩主・黒田長溥の命により、藩内から過激な勤王派を一掃した事件です。勤王派が藩主を犬鳴別館へ幽閉し、クーデターを図った事が露見し鎮圧されました。

処刑方法は勤王派の中でも身分によって分かれており、加藤司書など7名の上士は別の場所へ護送され切腹。しかし中・下級の14名は裏の海岸で斬首になっています。※幕末はよかトピア通りの辺りが海岸線

14名の中には月形洗蔵など、他藩にも名前の通った志士も含まれていました。

枡木屋跡 史跡

さて、実際にみて周りましょう。しかし牢獄としての形跡はほとんど残っていません。

そして、公園の看板裏に2つの石を発見しました。ただ、彫ってある字が風化していて読めませんでした。

おそらく慰霊の為の石仏か、または牢獄で亡くなった人をまとめた墓石かと思われます。

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