地区で評価が異なる勤王の志士
天気が良かったので、ちょっと佐田秀(さだ ひずる)の生家跡に行ってきました。
地元以外の人で佐田のことを知っている方はあまり多くは無いと思います。わたしも知りませんでした。調べてみると豊前宇佐の尊王派志士で、優れた歌人でもあったようです。
佐田は内川野村の庄屋の家に生まれ、学問に秀でた人だったそうです。仲間らと楠公会を起こして勤皇討幕思想を広めるなど尊王愛国の念が強い活動家でもあったとか。しかし、幕府から危険視され、長州の報国隊に逃げ込みます。
1868年、藩政に反発していた長州藩士らと一緒に再び宇佐に入り、四日市陣屋(日田代官所)を襲い、火を放ちます。相手が逃げ込んだ東本願寺別院にも放火し、これにより近隣の民家7軒も類焼したそうです。、、、庶民にとっては大迷惑ですね。。。
大分県道716号沿いに生家跡があります。
石垣は当時のままだそうです。屋敷の敷地は900坪もあり広大だったようです。
それでその後の佐田ですが、長州藩はこの勝手な佐田らの行動に怒り、鎮圧兵を宇佐に派遣し、佐田を斬殺してしまします。佐田の評価は生家のある佐田地区と、放火して民家まで燃やしてしまった宇佐地区では、全く異なるようです。佐田地区では同じ勤王の志を持つ長州藩に殺された悲劇の志士、宇佐地区ではとんでもない火付け盗賊とされているそうです。。。