リンドバーグ夫妻も訪れた飛行場
福岡市東区の城浜団地の近くを通っていると、名島水上飛行場跡の石碑が設置されています。
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かつてこの場所には陸地7500坪、格納庫900坪の水上機専用の福岡飛行場がありました。1930年(昭和5年)3月にできたこの飛行場は、大阪・中国・朝鮮・台湾方面への航空路として利用されました。
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しかし水上機専用のため使い勝手が悪かったらしく、1934年(昭和9年)に、わずか4年弱で閉鎖されています。その後、跡地は完全に埋め立てられて住宅地となり、現在に至ります。
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名島水上飛行場には、1931年(昭和6年)9月17日に世界一周中のリンドバーグ夫妻を乗せたシリウス号が立ち寄りました。福岡市民の大歓待を受けて、その当時のパネルが今も名島海岸にプレートになって埋め込まれていました。
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日米友好の架け橋として大歓待をうける夫妻でしたが、滞在中の9月18日に満州事変が勃発。夫妻は9月19日、激動の中華民国へと旅立っていきました。リンドバーグの意図に反して、日米両国政府の関係は険悪化の一途を辿る事になります。
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まだ飛行場が存在した頃の名島地区の航空写真です。名島城址や妙見島が写っていますね。
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今は閑静な住宅街となった飛行場ですが、飛行場跡を囲む道路が「リンドバーグ通り」、名島橋東交差点から飛行場跡に至る道路が「飛行場通」と名付けられていて、わずかに当時の痕跡を残しています。