糸島に残る第二次世界大戦の残滓
糸島をツーリングしていて、道の傍らに石碑をみかけたので足を止めました。

石碑には小富士海軍航空隊跡と彫られています。帰宅してから調べてみると、旧小富士村(現在の志摩大石~弁天橋付近)には、昭和19年5月に、鹿児島海軍航空隊小富士分遣隊が設置されていました。

この基地では、水上特攻隊員や空中特攻隊員の養成が行われていました。糸島の各所で水泳訓練や行軍訓練が行われたようですが、終戦と同時に解散になっています。

当時の予科練の宿舎がまだ残っているということで観に行ってみました。石碑からすぐの場所にありましたよ。

すでに築80年を超えてボロボロの状態で、中は近所の人の物置になっているようです。私有地だとおもうので、この辺が撮影できる限界でした。

昭和二十年の八月に終戦を迎えるまで、この土地で約五千名の予科練生が育成されました。第二次世界大戦は、まだ生乾きの歴史という感じで、廃屋を実際に目の当たりにすると考えさせられるものがありました。