詳細な説明と豊富な展示品

前回にひき続き、佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館を訪問しています。

とにかく用意されている説明が詳細で、じっくりみていくとかなり時間がかかります。ゆっくりまわりたかったけど、閉館時間が近づいていたので全て読めませんでした。

複製ですが、当時の蒸気船製造の為の覚書などが展示されています。この辺の古い文字が読めるとより楽しいのでしょうが。

長崎にあった海軍伝習所が、どのように佐賀の三重津に引き継がれたかの晴明です。

長崎での海軍伝習の内容の説明。幕末に勝海舟など多くの人材を輩出しました。

こちらは鍋島直正の書簡の複製です。お殿様から手紙が貰えるなんて、震えますね。

やはり三重津海軍所跡だけあって、洋式船の情報などが多く展示されています。

洋式船を覆っていた銅板の説明まであります、かなりマニアック。

こちらは国内で作られた蒸気船の模型でしょうか。小規模ながら、すぐに解析して自分たちで作り上げてしまうのがすごい、モノづくり日本の原点ですね。

説明書きだけでなく、映像などの資料も交えて展示してあるので、大変理解が深まります。

佐賀藩が幕末に保有していた洋式船の紹介です。長崎が近く警備を担当していたこともあり、国内でも最先端の軍備を整えていた藩なのが分かる資料ですね。

保有していた洋式船のメンテナンスや、実際はどのように活用されていたのかの説明。

こちらは出土品の説明コーナーです。地下に埋もれていた遺構なので、出土してから復元や分析までかなりの時間と労力がかかったようです。

焼物王国と言われる佐賀だけあって、陶磁器などの出土品も多数。輸出用でしょうか?

流石に割れたり欠けたりしていますが、それでもかなり綺麗に発掘されてるのが分かります。

「肥前の妖怪」と呼ばれた鍋島直正公です。驚異的な財政再建、反射炉やアームストロング砲などの最先端技術導入を主導し、尊皇攘夷か公武合体かで態度を明確にしなかったとらえどころのない名君でした。

長崎警備に関する資料です。佐賀藩は福岡藩と共に長崎の警護を担当していましたが、次第に警備が緩慢になり、フェートン号事件を招いてしまいました。

この事件を招いた佐賀藩は藩主が100日の閉門、家老が切腹になるなどの憂き目にあいます。この時の経験と屈辱が、幕末期の西洋化に影響したともいわれています。

この事件後から、異国船に対する警備は大幅に強化され、鎖国体制も比例して強固になっていきました。

数多くの資料と展示品をみていると、佐賀藩がどのようにして近代化の道を辿ってきたのか、非常に分かりやすかったです。

館内にはテーマに沿った展示スペースの他、合計3つのシアターを備えており、それぞれ時間ごとにプログラムが上映されます。実際に入館したら、まずはプログラムの開演時間を調べてから周るといいですよ(つづく)

投稿者

mokudai

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