高島流砲術の創始者のお家

天気が良かったので、ちょっと高島秋帆旧宅に行ってきました。
高島秋帆は幕末の砲術家として名を馳せた人物で、家は代々町年寄を世襲する名家でした。この旧宅は父の四郎兵衛茂紀が東小町町に建てたもので、万才町にあった本宅が1838年の大火で焼失したため、移り住むことになりました。

丸山町の奥、「奥丸山」の住宅街にあります
高島秋帆旧宅の門

想像していたよりも、敷地は広く、流石は代々町年寄を世襲する家柄であったことが偲べます。ここで砲術の訓練もしていたとか。

広大な敷地

秋帆は荻野流砲術を父に学び、オランダから大砲、弾丸、銃などの武器を購入し、西洋砲術を研究。1841年に江戸の徳丸原で砲術演習が実施し、幕府から褒賞を受けますが、翌年、幕府内の政争に巻き込まれ、謀反の罪で捕らえられます。この砲術演習から長崎奉行所に捕らえられるまで、この旧邸で過ごしました。

高島秋帆
雨声楼と呼ばれた旧邸

旧邸は原爆で吹き飛びましたが、石垣、土塀、井戸のほか、砲術訓練で着弾した砲痕石などが残っています。

雨声楼跡
石倉。硝煙蔵だったとも
砲痕石
高島流大砲
射的場跡
旧宅の正面入口
旧宅の正面玄関口

投獄生活は12年にもおよびましたが、釈放後は、幕府の砲術訓練の指導に尽力しました。