司馬遼太郎も訪れた供養碑
蒙古塚 を探して、作家・司馬遼太郎も今津を訪れた事を「街道をゆく」を呼んで知りました。という訳で、大歴史作家の足跡を辿って西区の今津地区に来ました。
この今津海岸では、大陸の覇権国家・元との防衛戦が繰り広げられました。
そして、元軍の襲来に備えて築かれたのが元寇防塁と呼ばれる、海岸線に沿って積み上げられた石の防壁です。
実は、福岡市内には現在も海岸沿いに点在しています。そして、中でもとりわけ保存状態が良いものが西区に集中しています。
そして、今津の元寇防塁は規模や保存状態が良く、さらに博物館まで併設してあります。
さて、そんな700年以上前に起きた戦いの戦場となった今津では、多くの兵士達が命を落としました。そんな兵士達の慰霊の為に作られたのが蒙古塚です。
蒙古塚
蒙古塚は「野の花学園」という施設の敷地内にあります。実はこちらの駐車場は元寇防塁を訪問する為に一般開放されているので、誰でも立ち入って見学する事が出来ます。
こちらはモンゴル語で書かれた石碑。意味は“モンゴル兵士の聖なる碑”だそうです。
さらに奥には「温故知新」と書かれた石碑も。
そして、こちらが蒙古塚です。文永・弘安の役で亡くなった兵士達を埋葬したと伝えれています。福岡市内には能古島や志賀島にも同様の蒙古塚が存在します。