道真公も参拝した歴史ある古社
早良区役所入部出張所の裏手に、菅原道真公が博多を経て大宰府へ赴かれるとき手を清めたと言い伝えがある井戸が残っています。
この井戸の水は『松ヶ根の岩より出ずる苔清水』と謡われ、昭和初期までは飲料水や酒造りに利用されていました。
手を清めた道真公は、道を挟んで向かい側にある今宮神社に参拝されて、松を植樹しました。「この松が一夜のうちに成長し古木となることがあれば、後年自分の無実が晴れるであろう」と念じながら植えると、一夜で老いた松となったと伝わっています。これが今日の「老松神社」の由来であり、道真公の没後に、病気回復祈願をこの松にしたところ全快したため、その傍らに社殿が建てられました。
何故か狛犬はおらず常夜灯が設置されています。
派手さはありませんが風格のある佇まいです。
色々な絵が飾られています。
こちらが道真公も参拝された今宮神社です。
境内には他にも色々な神様が祀られています。
由緒書きなどはありませんでした。
こちらは農村地帯には必ずある五穀神の石碑です。
保存樹指定されている巨大な銀杏。
こちらの巨木は根元に石がありました。
残念ながら老松は、1579年に起きた龍造寺軍の荒平城襲撃の際に焼失しています。この時の宮司は荒平城主・小田部鎮元の義父でした。神社の跡取りは一緒に討ち死にしてしまいますが、一族と御神体は立花道雪の家臣達に助けられたと記録が残っています。
その後も社領は全て、九州を制圧した秀吉と、この地域の領主になった小早川氏により召し上げられてしまいますが、周辺の村民達の協力により現在の社殿まで復旧したようです。