ローマ教皇に謁見した少年たち
天正遣欧少年使節として活躍した、千々石ミゲルの足跡を訪ねています。(前回)龍造寺軍による侵略で千々石を追われたミゲル少年は、父の実兄である叔父の大村純忠の元に身を寄せていました。
叔父の大村純忠は、狂信的なキリスト教徒で、領土内の神社仏閣を破壊したり、さらに先祖の墓まで破棄しています。ちなみに、長崎を港として宣教師達に寄進した人で、現在の港町長崎はこの時代に生まれました。
そんな大村純忠の元で、物心ついた頃から教育されたミゲルは、当然キリスト教徒への道を歩むことになります。洗礼を受けて、イエズス会の教育機関・有馬セミナリヨの第一期生として入学しました。
そして、このセミナリヨで特に優秀な4人の少年達が選抜され、キリシタン大名の名代としてヨーロッパに派遣される事になります。
この使節はイエズス会により企画されたものですが、主な目的としてローマ教皇やスペイン・ポルトガル国王からの経済的援助の取付。そして日本人に本場のキリスト教文化を体験させて、今後の布教活動における人材育成などがありました。
天正遣欧少年使節像
大村市にある、長崎空港手前の公園には、天正遣欧少年使節像が建てられています。
余談ですが、公園の砂浜はなんと廃ガラスなどを元に作られた再生砂でできています。
確かによくみると、それぞれの砂に透明感があって、ビーズのようになっています。
ガラスとはいえ、安全に処理されているので直接触っても大丈夫です。
アサリなどの貝類も問題なく育っているようで、なかなか面白い取り組みです。
さて、目的の天正遣欧少年使節像です。凛々しい少年達の姿がよく表れています。
往復8年の月日を費やした天正遣欧少年使節
少年達は本能寺の変が起きた年に、日本を遥か欧州へ向けて出発します。
長く過酷な船旅を経て、出港から二年半後にポルトガルのリスボンへ到着しています。その後、スペイン王フェリペ二世の歓待を受けたりしながら、欧州各地を訪問して日本の使節として責務を果たしました。
そして遂に、キリスト教の総本山・ローマでローマ教皇グレゴリウス13世に謁見。ローマ市民権まで与えられました。また、4人は次の教皇であるシクストゥス5世の戴冠式にも立ち会っています。ちなみに、この時の過酷な旅路は映画化までされています。
天下人・太閤秀吉へ謁見
8年以上の歳月をかけ、日本の外交使節として初めて欧州への遠征を成功させたミゲル達でしたが、長崎へ帰国すると、日本の社会情勢は大きく変化していました。
まず、天下統一を成し遂げた太閤秀吉がバテレン追放令を発布。さらに少年達の後ろ盾であったキリシタン大名達も相次いで亡くなっていました。そんな情勢の中、少年達は聚楽第に招かれ、太閤秀吉に謁見しています。
この時に西洋の楽器や絵画、活版印刷機などを披露し、またアラビア馬を一頭献上した記録が残っています。その結果、秀吉は大変喜んで四人を召し抱えようとしますが、神学への道を希望して全員断り、イエズス会へ入会しています。いよいよ信徒としての道を歩き出したミゲル達ですが、過酷な未来が待ち受けていました。(続く)