パイロットの訓練場として整備された航空施設
天気が良かったので、ちょっと宇佐の戦争遺構に行ってきました。
1939年、宇佐市には戦前、艦上攻撃機と艦上爆撃機の練習を行う宇佐海軍航空隊が置かれていました。戦後も滑走路などをはじめとした設備は取り除かれ田畑に戻されましたが、掩体壕や落下傘整備所などの遺構が保存されており、往時の姿を垣間見ることができます。
宇佐海軍航空隊の正門跡です。現在は「宇佐市宇佐空の郷」という、遺構めぐりをする上でのガイダンス施設があります。まずは、ここで散策するための情報を集めました。
施設内でボランティアガイドに、宇佐海軍航空隊のあゆみや特徴、地元出身の軍人さんなどを分かりやすく紹介していただきました。そしてパンフレットを元に、遺構巡りを開始。
まずは落下傘整備所に行きました。・航空隊の落下傘を整備していたとされる、レンガ造りの建物で、昭和14年頃の築造だそうです。
鉄のフェンスで囲まれているため、中に入ることはできません。フェンスの編み目から撮影。内部は延焼した跡がありました。
外部は米軍の空襲時の機銃掃射の弾痕が多数確認できました。軍事施設がある宇佐は、米軍の標的だったんでしょうね。1945年3月から終戦まで何度か空襲を受けています。
次に耐弾式コンクリート造建物と説明されている場所に向かいました。外壁は厚さ45㎝のコンクリートであることから、耐弾式と呼ばれる頑丈な造りだそうです。何の施設だったかははっきりと分かってなく、受信所または配水所のような重要なものがあったとされています。
内部。この仕切りは戦後になって改修された可能性があり、漬け物工場として使われたという話もあるそうです。軍事施設なので詳細は分かっていなくても、戦後どのように使われたかも知られていないんですね。これは意外でした。
お次は爆弾池です。1945年4月15日に米軍の爆撃機B29が投下した爆弾でできたクレーターです。このとき初めて宇佐に飛来したB29は11分間に136トン以上の爆弾を投下したし、航空隊の関係者だけで320人が亡くなったとか。この爆弾痕に水が貯まり池のようになりました。
そばには展望台があって、航空隊跡地をぐるりと見渡すことができます。