福岡城内を巡っています。前回の記事はこちらからどうぞ。扇坂御門を抜けて道なりに歩くと、東二の丸跡を通過します。
この辺は通路がカギ型になっていたり、攻め込まれた際の工夫が随所に施されています。
お城の随所に櫓跡が点在しているのですが、どれも現在は解体されていて土台しか残っていません。熊本城のように、もう少し当時の再現度を高めていけば、観光地としてさらに人気が出ると思うのですが。
この辺まで東二の丸の屋敷が続いていました。
現在の出口になっている東御門跡がみえてきましたね。門を出て真っ直ぐ行くと福岡城むかし探訪館です。
前回お話したお綱さんですが、実際に亡くなったのは東御門ではないかという説があります。確かに門番が常駐していたので、手負いの女性が武器を持って中に入っていくのは難しいでしょうね。
東御門は、城を攻められた際に敵が勢いづかないように、入ってすぐに直角に曲がる工夫がされています。
東御門を外側からみるとこんな感じです。当時はここから先は藩の中枢部分なので、入れる藩士も限定されていました。
わたしが幼い頃までは、この場所に平和台球場がありました。現在は鴻臚館広場として広々とした芝生が広がり、様々なイベントに利用されています。
福岡城むかし探訪館
さて、鴻臚館広場の一角にある福岡城むかし探訪館へ寄ってみましょう。撮影OKとのことのなので、遠慮なく撮影させていただきました。
お城マニアの人達に大人気の御城印。僕も集めているので、官兵衛バージョンと長政バージョンを一枚ずつ購入。
なんとクリア台紙やシルバー台紙の高級バージョンまでありました。
こちらは始祖・官兵衛がかぶっていた合子形兜(ごうすなりかぶと)のレプリカ。本物は臨終時に家臣の栗山利安に与えられましたが、その後は黒田騒動で息子の栗山大膳が南部藩お預けになり、その際に一緒に移動した為に岩手県にあります。
織田信長から下賜されたへし切長谷部のレプリカです。本物は国宝指定され、福岡市博物館に保管されています。信長に無礼を働いた小坊主が机の下に隠れたら、机ごとへし切った事に由来します。
江戸期の福岡城とその周辺の精細なミニチュアです、今とは大分違いますね。
こうしてみると52万石の居城にふさわしい立派なお城だった事がわかります。是非、当時のお城に近い形で復元頑張って欲しいものです。
最後は上之橋御門から出たいと思います。鴻臚館広場から上之橋御門までのエリアは、かつての家老屋敷が立ち並んでいた場所です。一番端には三奈木黒田家の初代当主・黒田一成の屋敷がありました。
福岡城の二号堀です。実は福岡城のお堀は簡単に渡れないように、所々が深くなっています。福岡大空襲の際に、多くの市民が堀に飛び込んだそうですが、急に深くなるので溺れそうになった逸話が残っています。
上之橋御門を真っ直ぐ進んで左に曲がると、かつての裁判所跡地です。この場所には栗山備後の屋敷がありました。
では上之橋御門から下城しましょう。かつてこの門の前には、東学問所である藩校・修猷館がありました。