名将と豪商達が茶会をひらいた離れ小島

名島海岸から先は、昭和初期に水上飛行場ができるまでは妙見島という離れ小島がありました。

この妙見島までの海は、現在は埋め立てられて陸続きになっています。妙見島とその周辺はみなと100年公園として整備されています。

かつてこの公園の場所にあった妙見島では、名島城主の小早川隆景により、度々茶会が開かれました。小早川隆景は毛利元就の三男で、逸話として有名な毛利三本の矢の教えに出てくる毛利三兄弟の一人ですね。

実は太閤秀吉公も、名島へ立ち寄った際にこの場所でお茶会を開いたそうです。その際に使用されたとされる井戸も残っていますが、現在は私有地の中にあるので見る事はできません。

左から神屋宗湛・小早川隆景・島井宗室

博多の豪商・神谷宗湛が記した宗湛日記には、当時のお茶会の様子などが詳細に記載されています。博多町衆で名島城の普請見舞いに赴くと、妙見島の浜辺に簡易な茶室を建ててもてなしてくれたとあります。

妙見島の古い航空写真と江戸時代の古図が埋め込まれていました。こうしてみると、妙見島までは潮の満ち引きで、干潮時には歩いて渡れそうな感じですね。

古図を拡大します。江戸時代とは大分変貌していますが、海岸線と山の配置だけは変わりません。

かつてお殿様や豪商達が、名島城と名島海岸を眺めながらお茶会をしていたと思われる風景を堪能しました。

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