和尚の代わりに普請働き
糸島市の長いと方面へ向かう道の途中に、真方という昭和バスのバス停があります。この近くに楠田寺(くすでんじ)という、かつては怡土七ヶ寺と呼ばれていた廃寺があります。

現在はご覧の通り寺跡へ上がる小道があるだけで、何もありません。怡土七ヶ寺は聖武天皇の時代に創建されたお寺なので、続いていれば相当な古刹ですね。

実はこのお寺、糸島地域に伝わる「身代わり地蔵さん」の舞台になったお寺なのです。

身代わり地蔵さん
むかしむかし、唐津のお殿様の指図で、糸島の長野川一帯の治水工事が行われました。周辺の領民たちには賦役が課せられ、役人の指図の下で工事に従事させられました。川近くの楠田寺にも役人がきましたが、寺の和尚さんはお寺は賦役免除になっている事を伝え、風邪気味だった事もあり寝ていました。
さて、川普請の現場では大勢の農民達が作業を行っていましたが、大人たちに混ざって、法衣を着た小僧さんが忙しく働いています。みかけによらず怪力で、大人が数人で運ぶような石も、軽々と一人で運んでいます。村役人は「あの小僧はどこのものだ?」と村人達に尋ねますが、皆知らないという。不思議に思って声をかけると、役人はその瞬間に身体の力が抜けてへたりこんでしまいました。その間に小僧さんは土手の上をスタスタと去っていきます。
慌てて後を追うと、楠田寺に入って行き、消えるように姿を隠しました。役人は寺の中で寝ていた和尚を起こし、寺に入っていった小僧の事を尋ねますが、この寺には和尚一人しかいないといいます。不思議に思い二人は寺の中を探すと、本堂の前に泥まみれの草履が脱ぎ捨ててあります。本堂の中を探すと、なんと御本尊が川普請の泥にまみれているではありませんか。和尚と役人は全てを悟り「なんと勿体ない」と2人で座り込んで手を合わせました。
それ以来、和尚と役人はこの地蔵尊を崇め、周辺の領民にもこの話が伝わって「身代わり地蔵さん」と呼ばれるようになり、多くの参拝で賑わいました。糸島の伝承・民話

お地蔵さんが人の代わりに何かしてくれるというのは、日本の昔ばなしではよくあるパターンですね。

こちらが舞台の楠田寺です、このお堂の中に今も身代わり地蔵さまがいらっしゃいます。

現在は無人で、たまに草刈りがされているようですが荒れていますね。

残念ながら施錠されていて、拝観することはできませんでした。

奥行きもそこそこあるので、中は結構広そうです。いつ頃まで住職がいたのか気になりますね。

お寺の前には糸島ののどかな田園風景が広がっています。田んぼの向こうに流れているのが長野川です。