繁華街天神に残る炭鉱王の別邸
こちらの写真は飯塚の炭鉱王の1人に数えられた伊藤伝右衛門と、大正三大美人とうたわれた妻の柳原白蓮(伊藤燁子)です。
飯塚市生まれの伊藤伝右衛門は、炭鉱労働者から身を興し、炭鉱王まで一代で登りつめた人物です。衆議院議員まで歴任した筑豊の名士でした。
一方妻の燁子(あきこ)は大正天皇の生母の姪で、大正天皇は従妹にあたります。夫の伝右衛門とは25歳の差がありながら、お見合い結婚で飯塚に嫁いできました。
天神の中心部に残るレンガ塀
歳が二回り以上離れていて、育ちも正反対の二人は、当然ながら夫婦関係は上手くいきませんでした。そこで伝右衛門は妻のご機嫌を伺う為か、現在タリーズ珈琲になっている場所に、妻の為に赤銅御殿(あかがねごてん)の建築を計画します。
実は今でも赤銅御殿の一部が残っています。かなり分かりづらいですが確かにレンガ塀がみえますね。
当時は屋根をすべて銅でふいた豪壮な建物だったそうです。ところが御殿の完成前に燁子は学生と駆け落ちして、新聞上で絶縁状が公開されました。世に言う「白蓮事件」です。
赤銅御殿はその後漏電がきっかけで火災を起こし、レンガ造りの壁だけが残ったのでした。