帰還願いの霊験あらたかな天神様
西公園(荒戸山)の中腹にある立帰天満宮です。
元々は筑紫野のお寺で祀られていたものを、江戸時代にこちらに遷座されたようです。
島原の乱の出兵の際に、この神社の周辺に住んでいた家臣達が祈願をこめて出陣したところ、無事に立ち帰ったことが社名の由来になっています。その後、長崎警護の務めに出る武士たちや周辺の漁師たちにまで厚く信奉されています。
こちらの神社は全国的にも珍しい下に降りていく形の参道です。
第二次世界大戦の時には、戦地から無事の帰還を願って、出征する兵士の参拝やその家族のお百度参りが絶え間なく続いたそうです。
そして天神様といえば神牛ですよね。
ご神体は菅公手彫りの木像だそうです。霊験がありそうですね。
コロナの影響か、全国的に手水舎の使用を停めているお社が多くみられます。
鳥居建立記念の石碑、名前が沢山彫られているので、つい有名人を探してしまいました。荒戸山周辺からは栗野慎一郎、金子堅太郎、団琢磨など明治日本の政財界を牽引した著名人が数多く出ています。全員アメリカへ留学していますが、こちらで無事帰国の願掛けをした事でしょう。
境内はそこまで広くないですが、立派な社務所も併設されています。
神殿内部です。
神殿の横に瓦が沢山入った石室のようなものがありました。
こちらの神社は境内の裏から、福岡ドーム方面へ抜けられる近道になっています。地元の人しか知らない道ですね。
新四国八十八カ所 七十二番霊場
境内には事情があってこちらに移転してきたと思われる大師堂もあります。
明治時代までは谷町にあったと書かれていますね。
福岡市の新四国八十八カ所 七十二番霊場に指定されています。
鳥居近くにも建立記念碑が建っていたので、また有名人を探しました。このブログで度々登場する貝原益軒先生のご自宅も荒戸山の近くにあり、筑前国続風土記巻之三 荒戸山では筆に力が入ったのか6頁に渡って長文が掲載されています。