和歌を愛し笛を奏でた孤高の志士

福岡出身の幕末の志士というと誰を思い浮かべるでしょう?西郷さんや龍馬のように、誰もが知るスターは出ていないものの、黒田藩でも勤王の志に燃え、倒幕の運動をしていた志士達がかつて存在しました。そんな中でも、当時特に志士達の間で名前が通っていたのが、足軽出身の平野国臣です。

ちょっと浅野忠信似。

足軽の家柄で下級藩士の次男坊だった国臣は、時代の流れとともに尊王攘夷運動へ身を投じます。大変風変りな志士だったようで、尚古主義(古制を尊ぶ思想)に傾倒し、烏帽子に直垂のような当時でも奇抜な恰好を好んでいました。月代を剃らずに総髪という髪型も当時の常識からすると異常でした。

藩主・黒田長溥は薩摩藩主・島津斉彬の大叔父

国臣は多くの有名な志士達と交流を持ちましたが、中でも有名なのは西郷さんとの関係でしょう。お由良騒動がきっかけで黒田藩に亡命してきた島津斉彬の側近たちと知り合い、その紹介で西郷さんとも繋がって、京都を中心に公家を巻き込んだ政治活動を展開しました。

安政の大獄により風向きが変わると、西郷さんと共に勤王僧の月照を警護しながら薩摩まで落ち延びます。しかし薩摩より保護を拒否されてしまい、絶望した西郷さんと月照和尚は錦江湾に身投げしてしまいました。国臣は驚いて二人を引き上げ、西郷さんだけは蘇生させる事に成功します。

神社に昇格した志士は数えるほどしかいません。

勤王活動はなかなかうまくいかなかった国臣ですが、西郷さんを救った一件は、その後の日本史に大変な影響を与えたと言っていいのではないでしょうか。

そんな郷土を代表する志士となった国臣は、福岡市内の生家跡が神社として整備されており、いまでも地元の人たちに慕われています。愛用していた横笛も福岡市博物館に保管されています。

神社だけではなく、西公園には銅像も建てられています。

平野国臣が植えた松でしょうか?

かなり巨大な追慕碑。

平野国臣誕生之地

奥にも生誕地を示す石碑が。

国臣ファンは是非冊子も手に入れましょう。

歌人国臣の一番有名な短歌。

その後の国臣は様々な活動を仕掛けますが、いずれも失敗して捕縛され、京都の獄舎にて新撰組により槍で刺殺されてしまいました。非業の死を遂げた国臣でしたが、その強烈な個性と孤高の生き方は、今でも歴史好きなファンを惹きつけており、参拝客が後を絶ちません。

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