姪浜・前原間に作られた新しい宿場町

JR筑肥線・今宿駅の北側を走っている国道に、旧唐津街道との分かれ道があります。今宿の地名は今(新しい)宿(しゅくば)から由来しています。つまり姪浜宿と前原宿があまりにも遠かったので、中継点として後から作られた宿場です。

時間帯によって一方通行になるほど狭い道ですが、分岐点から右に入った道が江戸時代までの主要道路だった、旧唐津街道です。

現在は九大伊都キャンパスや今津方面への近道として利用している人がおおいですね。

しばらく進むと今宿方面と櫻井神社方面への分かれ道にぶつかります。

そしてこちらが、分岐点に設置されている追分石です。江戸時代まで旅人の道しるべとして使われていました。

しばらく進むと、今宿の交差点でまた202号線に合流します。交差点を過ぎて、50mほど進んだところが、かつて宿場町の入口だった門際になります。

唐津街道 今宿

今宿歴史かるたが立てられています。そして、その横にあるのが馬をつなぐ為の石・馬つなぎです。

門際を過ぎて、しばらくして左折すると、かつての唐津街道・今宿です。現在の国道202号線は街道の面影がありませんが、反対にこちらはわずかに街道っぽさが感じられます。

当時の建物はほとんど残っていないようですね。お寺なら記録が残っているかもと調べてみましたが。確かにこちらのお寺は、『筑前国続風土記拾遺』巻之48 志摩郡 上に出てきます。
徳照寺
「今宿中町にあり。真宗西本願寺直参なり。天文二年六月開基せり。」

字が違うのが気になりますが、こちらのお寺の事だと思われます。

白壁のお家が一軒だけ残っていましたよ。

唐津街道・今宿の唐津側の門際にあたる上町天満宮です。

『筑前国続風土記拾遺』巻之48 志摩郡 上 に少し記述があります。
「民居本村今宿是也。 今宿ハ宿驛にて早良郡姪濱より此驛まて1里、此驛より當郡前原驛に至りて2里民家多し。 海に漁して運漕の利多く頗すこぶる富有の地なり。」

規模は小さめですが、当時から周辺地域よりも発展していたようですね。

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