都内で唯一残る江戸時代に建てられた本陣建築

日野はかつて江戸から伸びる甲州街道の五番目の宿場町でした。

街道沿いにはかつての宿場町の名残が残っています、こちらは問屋場と高札場の跡。

そして、こちらが日野本陣。都内で唯一残る江戸時代に建てられた本陣建築です。日野の名主で土方歳三の義兄・佐藤彦五郎の自宅を兼ねていた為、土方も頻繁に出入りしていました。

現在の本陣が建てられたのは文久三年、ちょうど新選組のメンバーが出入りしている頃です。この本陣に天然理心流の道場が作られ、近藤勇沖田総司山南敬助などが江戸から出稽古に通っていました。

本陣は大名や旗本などの身分が高い人が宿泊したり休憩する為の施設ですが、明治に入ると、天皇の休憩にも使われたようですね。

こちらは井戸跡か何かでしょうか?説明書きの文字が薄れていて読めません。

本陣正面です。大名たちの駕籠を乗り付ける式台が設置されています。

こちらは駕籠用の入口なので、勝手口にまわります。

土間の方から入ると入口があります。この日はガイドさんがいて、新選組隊士の逸話などを色々教えていただけました。

写真中央の太い柱が大黒柱です。広い館を支えているだけあって、さすがに太い。

土間から上がると、広間は十八畳の広々した部屋が広がります。

それぞれの部屋に残る隊士達の逸話

こちらは式台前の玄関の間。風通しが良い為か、土方が昼寝に使っていた部屋だそうです。

玄関の間の式台では、仲間から病気を心配された沖田総司が、相撲取りの真似をして元気な事をアピールした逸話が残っています。

 江戸後期の書家・柳田正斎の書です。右から「すなわちぶすなわちぶん」と読むのだそう。

欄間の細工など、大工さんのこだわりも素晴らしいですね。ちなみにこの本陣の建築には、人斬り鍬次郎と恐れられた大石鍬次郎が大工として関わっていました。佐藤彦五郎と懇意になり、道場に出入りする事になった事が、新選組入隊のきっかけだったようです。

函館から土方の命で遺品を運んできた、新選組隊士・市村鉄之助を匿っていた部屋です。母親代わりだった姉と信頼する義兄がすむ本陣こそ、帰る場所だったのでしょうね。

鉄之助は新政府の追求を逃れるため、ここで2年間も過ごしました。

部屋数もかなり多い大きな屋敷ですが、江戸時代はさらに広かったそうです。

佐藤家が住んでいた居住スペース

佐藤彦五郎の日記によると、土方は3回、近藤・井上・大石はそれぞれ1回ずつ、里帰りの際にこちらに立ち寄っています。

本陣奥のエリアは佐藤家の居住スペースだった空間です。

釘隠しには子孫繁栄を願う兎や、福を招くといわれる蝙蝠などが使われています。

居間・仏間・茶の間に分かれています。

居住スペースの天井は大石鍬次郎が担当したそうです。

土蔵からみつかった、当時の家紋入りの食器なども展示されています。

江戸時代から使われていたタライなども、そのまま残っています。

本陣の奥にはかつて、新選組の幹部隊士達が出会った道場が建っていました。町全体に隊士の足跡が残る日野市。新選組のふるさとと言われている理由が分かります。

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