山師・成清博愛の邸宅

天気が良かったので、ちょっと的山荘に行ってきました。
的山荘は、福岡県瀬高町小川村(現・みやま市)出身の清成博愛が1915年、日出城下に建築した邸宅です。

長い長い塀が屋敷の規模を物語ります

博愛は慶應義塾に進学しますが、体調不良で帰福。故郷の小川村で村会議員や村長を務めました。33歳の時に炭鉱経営をはじめますが、炭化の暴落などで失敗。しかし、その後、馬上金山鉱区(杵築市山香町)の一部を譲り受け、金の採掘に乗り出します。見事に掘り当て、1914年には日本一の産出量を記録し、大いに栄えます。

的山荘は、一躍富豪の仲間入りした博愛が1915年に建築した邸宅ですが、当時は採取した鉱石を日出港から海上輸送しており、鉱山経営の拠点でもありました。

どこからみてもでかい
入口
立派な門が見えます
掘りが長いからお庭も長いですよね。もとは日出城三の丸の藩屋敷跡だったそうです
主屋とロータリー
当然ですが面影がありますね

敷地面積は3670坪、邸宅は247坪の広大な邸宅です。博愛が「山を的てたい」という願を込めてつけた「的山」という雅号(ペンネームみたいなもの)から、後に的山荘と呼ばれるようになったそうです。

後に成清家は、ここで料亭として営業をはじめ皇族もたびたび訪れました。2010年からは町が所有し、指定管理施設として日本料理専門店が営業されています。