市内随一といわれた白砂青松の百道海水浴場
百道海水浴場をご存知でしょうか。樋井川にかかる百道浜橋、この橋から西側はかつては福岡市内で一番人気の海水浴場でした。
そしてこの橋の上を通っている道が現在のよかトピア通りで、百道浜が埋め立てられる以前の海岸線の位置になります。
さらに西南学院の道を挟んだ向かい側には、当時海岸だった事を示すモニュメントがありました。
明治四十四年に、路面電車が今川橋まで延伸してから、市内随一の海水浴場と評判を呼び人気になりました。
足跡のモニュメントがあります。百道という地名は、砂浜の足跡が交差する様が百の道にみえる事に由来します。
そして当時の様子を伝えるパネルなども埋め込まれています。
福岡市内の夏の定番スポットになりますが、しかし大正時代には女子生徒が二十八名溺れ、内五名が亡くなるという痛ましい事故も起きています。
昭和の頃までは海の家や相撲部屋の稽古場などもありました。アジア太平洋博覧会の開催を契機に埋め立てらるのですが、遊んでいた海岸が消えていく光景は、子供心にも寂しかったですね。
百道海水浴場の現在
さて、こちらが現在の百道海水浴場あらため、ももち浜海浜公園です。レストランや結婚式場をはじめ様々な施設が併設されています。
海の中道への小型フェリーの発着所も開設されました。花火や音楽フェスなど大型の野外イベントが催される事もあり、今でも多くの人で賑わっています。